
遅ればせながら今月あたまに六行会ホールで行われた
いだくろのネクストリーム21の写真である。
彼女たちとは2010年の幕開けに行われた
「ダンスがみたい」新人シリーズ以来。
黒田なつ子さんと年末のイベントで知り合ってから、
ボクが勝手に追いかけているのだけれど、
毎回毎回ダンスという肉体表現に
深く深く分け入っている自分がいる。
彼女たちは、踊らずにはいられない生体〈Creature〉だと思う。
踊ることで「生きる」を体現している。
そして、体を動かすことで「生きることに無自覚」になろう…としている。
それが、ダンス。
音楽もそうだけど、
演じ手たちはプレイしている間、
演奏に、歌に、踊りに、没頭している。
どこまで無私であるか、
それが観客のボルテージに比例する。
演者の魅力は、
楽器そのものになるか、
歌そのものになるか、
踊りそのものになるか、だ。
そういった意味で、ダンスはむずかしい。
もちろん捉えることもむずかしいのだけれど、
演者が生体〈Creature〉として「生きる」そのものに成ることが
なによりもむずかしい…のだ。
「生きる」=「踊る」ために、
彼女たちは日夜エクササイズを繰り返し、血肉とさせる。
その発露が、ステージ上で、5分間花開く。
ボクはその一瞬一瞬を逃さぬよう、必死にファインダーを覗く。
なんと尊い行為なのだろう?
「生きることに無自覚」になる。
そんな哲学的な…とお思いだろうが、
「生きる」とは本来、無自覚なものであるはずだ。
「考える葦」として意識を客体化したあたりから、
人間の営みはどんどん間違った方向へ向かってしまった。
「生きる=死ぬ」の対立項で考えること自体が
生きることに自覚的(客体)だと、最近ボクは思うようになった。
朝日が昇り、夕日が沈み、夜が来て、また日輪が大空に浮かび上がる。
その繰り返しが「生きる」こと。
そのように毎日を謳歌できたら、きっとすばらしい人生だろう。
そこに近づくために、彼女たちは今日も踊る。
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神楽坂セッションハウスにて今週の29日行われる
「Theater 21fes Step Up vol.31」に彼女たちも参加する。
次はどんな「生きざま」を魅せてくれるのだろう、
今から楽しみだ。