18日午後4時45分から50分間にわたって
大浦信行氏と牧野館長の話し合いが行われたようだ。
抗議文を提出した小倉利丸氏のブログが真実であるとすれば、
この牧野館長は、相当偏った人物だ。
●「教育的配慮と総合的に判断して決めた」
●「美術館の裁量権によるものであり、表現の自由を侵していない」
●「公立美術館だからこそ、こうした判断をする必要がある」
●「農家が何を売るか決める自由があるように、美術館も何を展示するかを自由に決めていい」
●「かごの中の腐った果物は放っておけば、他の果物に移るから排除するのは当然」
さらに報道陣には…
「(天皇制への賛否がある中)バランスを欠いたものを公的機関が支援できない。
外した作品には裸体や入れ墨もあり、県教育委員会の下にある公的機関としてふさわしくないと判断した」
…「バランス?」…「裸体」や「入れ墨」が公的機関にふさわしくない?
おそらく牧野館長は、美術畑の方ではないようだ。
「芸術」「アート」の位置づけがわかってない。
岡本太郎が「芸術は爆発だ!」と言ってるだろう。
芸術を相対的に判断するその姿勢が、まずもっておかしい。
「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
芸術の本質とは常に過去を否定し、乗り越えることであり、
その視点の置換に、鑑賞者は胸をつかれ、己の視界が開かれるものだ。
芸術家は、自分の信念に絶対的な存在なのだ。
その姿勢を擁護し、支持し、発信する場が、公的機関と云われるところの「美術館」の本質だ。
プリンシプルのない人間に美術館長は務まらない。
